何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

プライドだけ人間

今日やらなければいけない憂鬱な仕事を先送りにして帰ってきたので、最悪の気分だ。

これまでもずっと、今助かりたいがために苦労を後回しにする人生を送ってきて、そのしわ寄せが今まさにきていて苦しいはずなのに、まだ同じようなことをしている。

多分このまま苦労を一生先延ばしにし続けていれば、全部が全部を返さなくてもよくなるのではないかという希望的観測が根底にあるんだと思う。でも大学の8年間を無駄にしたことの対価は今きっちり払わされている気がするし、やっぱり楽をした分はどこかで絶対に取り立てられるのかもしれない。

将来を思って今を我慢できる人、本当にすごいと思う。

今が楽しければいいとか言いながら快楽を貪るくせに、それ相応に将来への不安を感じてしまうからタチが悪い。どうせなら将来のことなんて頭から全部捨てて快楽に溺れ切ってしまえたらいいのに、わずかに残った理性が最後の最後に自分を快楽の底から引き上げてしまう。明日の憂鬱な仕事をできるだけ考えないように無理矢理娯楽に身を置いていても、明日のことがちらついてどこか心から楽しめないのも同じで、脳味噌の多分最後のセーフティネットみたいなのが働いているんだと思う。でもそれがあるから、一応はまだまともに生きていられているんだろうな。

大事なことを後回しにしてきた大きな原因はパチンコだけど、最近はあまり行っていない。自分が成長したとかそういうわけではなく、単純に飽きたから。それでも毎週金曜日は仕事終わりに何となく立ち寄ってしまう。パチンコは時間とお金を浪費するだけでなく、パチンコ以外のことにお金を使いたくなくなるのが良くないと思う。この感覚のせいで、一般的なアラサーが経験するようなことをほとんどやらずに生きてきたという自負がある。一般的なアラサーが経験するようなことなんて明確にあるのかは知らないけど。

経験はまだいいとして世の中の常識をあまりにも知らないので、人との会話がかみ合わないことが多い。しかも妙なプライドがあるのでそんなことも知らないのかと思われたくなくて、なんとなく知っているふりをしてしまう。

知らないことを知らないと言える人間になりたい。こんなに何もない人間なくせに、人には格好よく思われたいと言う、思春期に育まれた自尊心が未だにその当時と同じサイズ感のままで残っている。

8年間何もしてこなかった空っぽな人間だという弱点を突かれたくなくて、パチンカスというまだ突かれてもマシな弱点を全面にさらけ出すことで自分を守ってきた。だからパチンカスに関していじられても笑って返すことができるけど、自分の空虚さを指摘されたときに、一丁前に存在だけしているプライドがズタズタに引き裂かれてしまう。

このプライドさえ捨てられればもっと穏やかに生きられるのにと思うけど、このプライドとか自尊心が自分を保つための最後のセーフティネットなのかもしれないと、たまに思う。