何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

好きなこと

本を読むのが好きな人をうらやましいと思う。映画が好きな人、音楽が好きな人、美術館が好きな人、登山が好きな人、みんなうらやましい。

自分は本が好きだからではなく、本が好きな人になりたいから本を読んでいる。映画が好きな人になりたくて映画を観ている。学生時代手当たり次第にアニメを見ていたのも、色んなアニメを知っている人になりたかったからだ。観たくもないアニメを観て20分を苦痛に感じたこともある。

だからなにかを本当に好きでやっている人をうらやましく思う。うらやましいというか、なんだろう。自分もそうありたいと思う。やっていることと本心のズレを常に感じる。

空いた時間の自分の過ごし方を振り返ってみると、最近はYoutubeを見ているかゲームかパチンコをしていることがほとんどだ。本を読んだり映画を観たりパチンコ屋以外のどこかへ出かけたりというのは、相当の気合を入れないとできない。ついやりたくなってやってしまうということがない。だから本や映画を好きではないんだと思う。

じゃあYoutubeやゲーム、パチンコが好きかと言われるとそれもよくわからない。これらに時間を費やしているときは割と夢中になっているが、常に頭のどこかしらに「本当はこんなことやっている場合じゃないんだけどな」という思いがある。じゃあ本当はなにをやるべきなのかというのは一旦置いておいて、少なくとも自分がやるべきこととして分類しているものの中に、Youtubeとゲームとパチンコは入っていない。夢中になってしまうぐらい好きなのかもしれないけれど、同時にこれらは時間の無駄であるとハッキリ認識している。だからそんなものを好きでいることは何のプラスにもならないと思ってしまう。

結局は承認欲求の問題か。他人の好きなことをうらやましく思うのは、自分の好きなことも他人にうらやましがられたいからだ。だからこそ他人にうらやましがられるようなこと(つまり自分がうらやましく思うこと)を無理に好きになろうとする。興味のない本を読んだり、白黒映画を観たり、よく知らない画家の展覧会に行ってみたり。

けどそういうことを無理矢理にでもする方が1日中パチンコに明け暮れるよりも有意義であるだろうことは確かで、だからこそパチンコよりも読書の優先順位が上にある人たちのことをうらやましく思ってしまう。無人島にパチンコ台か本を持って行けるとするなら、間違いなくパチンコ台を選ぶ。