何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

パチンコに飽きた

休日前夜は相も変わらずパチンコへ行く。

行くというよりもはや吸い込まれていると言った方が正しい。朝何も考えずにボーっと自転車をこいでいても無意識のうちにいつもの出勤ルートを辿っているのと同じで、体がパチンコ屋へ入るようにここ10年でプログラミングされている。

3週間程ぶりに、約10年間通っている行きつけのパチンコ屋へ足を踏み入れる。3週間前にこっぴどく負けたので、先週と先々週はここを避けて別の店で打っていた。こういうオカルト的なことをパチンカスはよくやる。パチンコというほぼほぼ運ゲーなギャンブルにおいて、心の拠り所になるのはオカルトしかないから。

いつも通り1パチの好きなアニメの台に座り、会員カードと1000円札を投入する。カードに400玉分の貯玉が残っていた。実質400円勝ちからのスタートになる。競馬でいうと他の馬より蹄1つ分前に出ている感じか。

打ち始めてから気づく。全然楽しくない。そもそもパチンコなんて楽しい時間、つまりは大当たりしている時間なんて全体の1割もないぐらいで、それ以外の時間は苦行でしかないのだけど。それでも以前ならもう少しワクワクしながら打っていたような気がする。

仕事を始めて、月に手取りで18万ぐらいはもらえるようになって、1円パチンコごときでのお金の変動に心を動かされなくなったのか、パチンコでいたずらに時間と脳味噌の機能が削られていくことに流石に飽き飽きし始めたのか、単純に楽しめるような台がないのか、他に楽しいことが増えたのか。

以前はパチンコ屋に自室以上の居心地の良さを覚え、打っているだけでまるで体とイスとパチンコ台が三位一体となったような感覚があった。ハンドルが手のひらに吸い付くように馴染んだ。話すことはほぼないが、常連の客のことを友達のように思えた。馴染みの女性店員はまるで母親のようで、救いようのないドラ息子たちの晴れ舞台を後ろから見守ってくれていたのだった。自分はこのコミュニティの一員なんだという帰属意識が芽生えていて、自分の居場所がある安心感に包まれていた。

そういった感覚が、今はもうほとんどなくなっていた。600円ぐらい打ったところで、すでに死ぬほど帰りたくなっていた。1000円を使い切ったら帰ることを決意。

体とイスとパチンコ台が、それぞれ別個の物体として存在していて居心地が悪い。体に馴染まない。しばらく期間を空けたのに相変わらず今日もいる常連の客は、ゲームのNPCのように見えた。ストーリーは進んでいるのにも関わらず、最初の村の道具屋の前で永遠に突っ立っているNPC。自分が見ていないだけで彼らにも自分の人生があり、それを全うしているのだろうか。たまたま村に帰った時に、たまたま同じ場所にいるだけなのだろうか。

パチンコに飽きた明確な理由はいまいち掴めないけど、人生にとっては多分いいことだと思う。懸念点としては、1000円で帰る決意をしていたのに結局4000円をぶっこんで帰ってきてしまったことか。そもそも毎週行くことをやめなければいけないかもしれないけど、とりあえず阪神と渋谷ABEMASが勝ったのでプラマイゼロ。応援しててよかったー。