何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

トンカツ屋にいった

近所にあるトンカツ屋に初めて行った。家から歩いて10分ほどの距離にあるのに、最近まで存在すら知らなかった店だった。当然いつからあるのかもわからない。最近はこういうマップの穴埋めみたいな作業よくをしている。もし今後自分がこの街を出ていくとして、こんなに穴だらけのマップのまま次の街に出ていかれたとしたら、ゲームの製作者も浮かばれないと思ったからだ。ゲームでは探索が結構好きな方で、初めて訪れた街などは隅から隅まで徘徊し尽くす質なのだけれど、そういう好奇心とか、全部を網羅しておかなければいけないという使命感みたいなものが、現実の世界においては全く表れてこなかった人生だった。いつから建っていたかもわからないトンカツ屋に足を踏み入れてみたのも、その感覚を現実に取り入れられたら生活も少しは楽しくなるんじゃないかと思ったからだった。

馴染みのない飲食店に入るのが心底苦手なので、店近辺に着いてから自転車を停めるまでに数分を要した。店構え、中にいる客数、中の雰囲気などを自転車でぐるぐると店の周りをまわりながら確認し、入るタイミングをうかがう。幸い客数は少なそうで、そこまでガヤガヤしている雰囲気ではなさそうだったので意を決して自転車を停め、入店した。

店に入るとすぐ細長い通路の左手に前後に伸びたカウンターがあり、イスが7席ほど。誰も座っていない。カウンターと右手の壁の間は人が一人通れるほどの通路になっている。通路の先に少し開けた空間があって、テーブルが4台配置されている。そこに家族連れが2組すでに座っていて食事をしていた。

やや迷っててカウンターの奥から二番目の席に座る。目の前が厨房になっているので気まずい。60~70代の店主と恐らくその妻であろうおばあちゃんと、40代ぐらいの女性店員で切り盛りされていた。おばあちゃんがいかにも人懐っこそうで、自分みたいにあまり喋りかけないでくれオーラを出しているような客でなければ、きっとにこやかに話の花を咲かせていたんだろうなと思うと少し申し訳ない気持ちになった。とは言っても自分にはどうしようもないのでメニュー表を見る。本当は店先の看板に書かれていたちゃんこ鍋が食べたかったのだけれど、メニュー表には記載されておらず、後ろの壁に貼り紙だけがされていた。初めて訪れた店でメニュ―表にないものを頼むのがなんとなく気恥ずかしくて断念した。これまでも幾度となく何の得にもならない恥やプライドのせいで自分の気持ちを押さえつけて後悔してきたのに、未だにトンカツ屋でちゃんこ鍋を頼むことすらできない自分が嫌になる。苦し紛れの抵抗として、メニュー表の一番上のロースカツ定食ではなく、300円ほど高いミルフィーユカツ定食を頼んだ。

注文して料理を待つ間に、テーブル席にいた家族連れの1組が食事を終えてぞろぞろと席を立った。ちらりと見たところ両親と息子、幼い弟か妹の4人構成っぽかった。4人でワイワイガヤガヤ言いながら楽しそうに自分の真後ろの狭い通路を一人ずつ通り抜けていく。申し訳程度にイスを引く。自分は未だミルフィーユカツ定食を待ち続け停滞し、家族は次の段階へと颯爽と抜けていく。トンカツ屋においても、人生においても。

会計中、家族連れとおばあちゃんが和気あいあいと会話していた。どうやらこの家族は昔からこの店に通っていたらしく、おばあちゃんが息子を見て「大きくなったね~」と感嘆の声をあげていた。この店はいつからあるんだろう。そして、自分にはこう言ってもらえるようなトンカツ屋はないなとふと思った。トンカツ屋に限らずだが。それを一瞬両親の社交性のせいにしかけて、やめた。

その後の会話は聞こえなかったが、会計を終えて厨房へ戻ってきたおばあちゃんと店員の会話からすると、どうやらさっきの息子は自分と同い年らしかった。そして彼が仕事で出世したらしいこと、それもあってか今回の会計は彼が持ったと言うことも耳に入ってきた。こういうとき、意味もなく自分と彼を比べてしまうのだった。かたや仕事も家族とも上手くいき、家族を食事に連れていくような人生。かたや未だに実家で親のすねをかじり、家族で食事に行ったことなんて遠い昔のことで、ただミルフィーユカツ定食を待つだけの人生。どちらの人生も正解なんてことはないと言い聞かせるも、今まで培ってきた肌感覚が劣等感を生む。いっそ捨ててしまいたい感覚だ。

ネガティブな思考が、目の前に突如として置かれたミルフィーユカツ定食によって途切れる。大皿にのったミルフィーユカツと大量のキャベツ、中盛りのご飯、味噌汁、なぜかサツマイモ。野菜が好きではないが先にキャベツをむしゃむしゃと食べる。こうすれば太りにくいと世間が言っていた。半分ほど減ったところでカツに取り掛かる。ミルフィーユカツがなにかはよく知らないが、おそらく肉が層になっているのだろう。見た目も噛み応えも、層であることを存分に主張してきた。衣のサクサクが心地よく、肉厚でおいしい。ガツガツ食っていると、おばあちゃんと店員の会話が耳に入ってきた。どうやら店に設置されたテレビを見ながら話しているらしいが、自分の席からテレビは見えない。ある若手俳優をおばあちゃんが「ライダー上がり」と評する。失礼な物言いだなと思いながらも、その表現の刺々しさに少し驚く。世のおばあちゃんは自分の想像よりも鋭利な感覚を持っているのかもしれない。だとしたら年齢から感じるイメージなんてただの飾りにしか過ぎず、気にするだけ無駄と、さっきの息子と自分の差を振り払う。世の中できたアラサーばかりじゃない。

サツマイモまで完食し、会計をしてもらう。IDが使えることに感動し、店を出る。夜風が冷たい。ミルフィーユカツ定食はかなりおいしかったが、ちゃんこ鍋を注文できなかった無念を晴らすまでには至らなかった。