何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

文字だけの関係

小学生の頃にネットに触れ、中学でチャットという文化にハマってから、文字だけで繋がる人間関係が好きになった。チャベリというチャットサイトやハンゲームで、文字だけの友達を山ほど作った。ほどよく無機質で後腐れがなく、ほどよく人間を感じられる関係。その距離感が心地よかった。文字での関係なら普段言えないことだって言えたし、ここでの自分こそが本当の自分なんだという気すらしていた。

ただ単に生身の自分に自信がないだけかもしれなかった。生身の自分は文字の自分ほど上手く言葉を返せないし、簡単に人に話しかけられないし、引け目を感じて快活に振舞えない。カースト上位に威張られて、学校も楽しくない。

中学生の頃は、文字の関係性が文字を飛び越えて生身へと到達することはなかった。もちろんチャベリやハンゲームで知り合った友達にそれぞれ家族がいて、学校の友達がいて、生身としての生活があることはわかっていたけれど、決して生身の彼らと会うことはないだろうという確信が、その生々しさを和らげていた。その確信はおそらく中学生の金銭的余裕、時間的制約によるものだった。会おうとしても簡単に会うことができないという事実が、文字の関係を文字だけで完結させる理由になり、みんながそこに居心地の良さを感じていた。

当時の中学生でも近場に住んでいる者同士でオフ会をしているような連中もいたが、自分の属していたグループは住んでいるところもバラバラで、そもそも固定されたメンバーが常にいるわけでもなく、素性を明かさない人間も多かったので、生々しさは一切なかった。なんとなくリアルで会うことをタブー視するような雰囲気があったのも一因かと思うが。とはいえその方が気楽にいられたのは事実だ。

今でも文字の関係性を構築しようと思えばいくらでもできるのだろうが、多分あの当時のようには楽しめないと思う。今となっては金銭的余裕も時間的制約もあの頃とそれとは違い、文字の関係を文字だけのものとして縛りつけるものではなくなった。文字と生身の距離があまりにも近くなってしまった。

そもそも今の時代は文字で誰かと知り合うなんてありふれたことで、あの頃感じていた特殊性は一切ない。当時も実はネットでの友達なんて大して特殊なものでもなかったかもしれないが、少なくとも自分にとってそこは生身の世界と隔絶された、まだ親にも学校の友達にも知られていない、隠れ家のような特別な場所だった。その異質さに甘美な魅力があり、いつでも逃げ込める安心感があった。

今や文字の魅力は薄れ、生々しさが一層増した。結局は大人になったというだけのことかもしれないけど。

当時チャベリやハンゲームで知り合った友達とよく使っていたSkypeのアカウントに、自分だけが未だにログインしている。数年前までは他にも数名ログインしている人はいたが、今となってはそんな物好きは自分だけになってしまった。

連絡先一覧にかつてコンタクトを交わした、二度とログインされないであろう抜け殻のようなアカウントが無数にある。この画面を開くたびに自分だけがここに取り残されたような気分になる。他のみんなは既に殻を破って飛び立ってしまった。十数年前に過ごしたネットの青春時代に、自分だけが未だに縋っている。