何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

ヒトカラに行った

久しぶりにカラオケに行った。友達がいないのでヒトカラだ。歌うことが嫌いではないので半年に1回ぐらいカラオケに行くけど、カラオケに行くたびに歌うことが嫌いになる。理由はただヘタクソだから。そして嫌いになったカラオケが再び嫌いでなくなるまでに、大体半年の時間を要するというわけだ。

下手なくせに採点機能を毎回使用する。点数をつけられるのは怖いが、そういう機会もあまりないので面白い。ただ最近の採点機能は精密になりすぎてもはや80点も出ない。歌っている最中に自分の歌声がいかに正解から外れているかを、一本の線の上がり下がりでまざまざと見せつけられるだけの時間。あんなにもリアルタイムで逐一自分を否定され続ける時間は他にないだろう。精密採点Aiというやつはあまりにも残酷だ。

いつもイヤホンで聞いていた素晴らしい曲たちが、自分の口から発せられるだけでこんなにも価値のない支離滅裂な音に成り下がるのかと感動すら覚える。発声方法がまずく、高音を出す時に喉をちぎれそうになるぐらいに絞るので、1曲をフルで歌いきることさえも難しい。

来る前はもう少し上手く歌えるだろうと高を括っていたが、現実は厳しい。2曲目でもう既に全く楽しくなくなっている。

自分が上手くできないことを楽しめない人間だなと改めて思う。上手いかどうかなんて相対的なものでしかないけれど、カラオケに関しては採点機能の平均点という絶対的な基準がある。どう都合よく解釈しても自分が平均以下であることは確実で、それはつまり上手くできていないということだ。

3曲目で完全に心を折られ、歌うことをやめてスマホで時間をつぶした。もはや何のために来たか分からず、仕事が終わればヒトカラに行こうとワクワクしていた午前中の自分が哀れに思えてきた。もう二度とカラオケには行かないと、おそらくちょうど半年後に破られるであろう誓いを立てながら店を出る。

自分が上手くできないことを楽しめない人間は、上手くなろうとする過程自体を楽しめない。自分が下手であること、下手である状態を許せないからだ。そんな無価値なプライドに支配され、日々を生きている。来年はボイトレに行きたい。