スーパーで白い食パンを買った。耳まで真っ白で柔らかいやつだ。我が家で朝食といえば食パンだったが、小学生のころに一時期この白い食パンが出されていた。普通の食パンの耳の硬さが好きではなかったので、当時白い食パンを初めて食べた時、耳にまで内側のやわらかさが残っていることにいたく感動し、晴れて推しパンとなった。しかしその後白い食パンがレギュラー朝ごはんに採用されることはなく、朝食は自然と普通の食パンに戻されていくのだが、あのときの白い食パンの衝撃は今でも残っているらしかった。
数ヶ月前にふとそのことを思い出し、それからというものスーパーに行くたびに食パンコーナーをチラ見し、白い食パンが置いていないかを確認するようになった。今ではもうあまり需要がないのか(当時もあったかどうかはわからないが)、どのスーパーでも白い食パンを見つけることはできず、ロイヤルブレッドのぶっちぎりの人気に圧倒されるだけの日々が続いていた。
ネットからでも注文することはできたが、それはなんか違う気がしてやめた。あれだけの衝撃を受けて今でも心に残っているものを、ボタン一つで家まで届けさせるのは少し味気ないなと思ったから。あと、食べ物はできるだけそのときの熱量のまま手に入れたい。ネット通販はとても便利だが、食べたいと思ったときの熱量が、商品が送られてくる日まで残っているかどうかはわからない。
そんなこんなで、数ヵ月前に再熱した白い食パンへの熱量は今や適度に落ち着き、気が向いたら食パンコーナーに立ち寄るぐらいの向き合い方をするようになっていた昨日。
ついに、普段あまり利用しないスーパーのパンコーナーの果ての果てで、ようやく出会えました。白い食パンもとい、ヤマザキの「ふんわり食パン」に。
5枚切りと6枚切りのふんわり食パンがそれぞれ1袋ずつ、横並びに陳列されていた。どちらも列の手前に配置されているが、5枚切りが置かれている列にはその5枚切り1袋だけが鎮座している。他はもう売り切れてしまったのだろうか。6枚切りの方はと言うと、後ろに同じふんわり食パンではなく、別メーカーの茶色い食パンが列をなしている。その様はまるで今にも6枚切りが茶色い食パンに押し出されそうで、すんでのところで踏みとどまっているように見える。一目見ただけで、まるでこの2袋だけが別の世界から転送させられてきたんじゃないかと思うほどの場違い感を覚えた。でも数時間前にはもしかしたらこの2列は白い食パンでにぎわっていたのかもしれない。そう思うと、その様子が見られなかった寂しさはあったものの、こいつらも一人じゃなかったんだなと安心した。かわいそうに思える部分だけを切り取って同情し、その全てを分かった気になるのはおこがましいことだ。
少し迷って、5枚切りの方を選ぶ。手に取りカゴに入れると、5枚切りのあった列が空になる。茶色の軍勢に今にも押し出されそうになっている6枚切りを、空になった列に移動させてあげようかとも思ったが、勝手なことすぎるのでやめた。茶色の圧力に屈してしまう前に、誰かが買ってくれたらいいなと思う。
今朝、5枚切りの白い食パンを1枚焼いて何もつけずに食べた。薄々わかってはいたが、当時受けていたであろうほどの感銘は今はもう受けなかった。でも茶色の食パンよりはおいしかった。茶色の食パンの耳の硬さは、朝ギリギリの時間に起きて一刻も早く朝食を終えたい自分に牙をむいてくる。
無事スーパーでお目にかかれたので、これからはネット通販で白い食パンを定期的に購入しようかとも思ったが、ネットで調べるとどうやらこの白い食パンは健康にあまり良くないらしい。もしかしたらそれが、ふんわり食パンが希少種となった理由かもしれない。やっぱり定期購入はやめて、たまにスーパーで出会えたら買うことにしようか。とは言うものの、世間からつまはじきにされている白い食パンが、その不憫さからますます愛おしく思えてきて、より一層迷うのだった。