何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

What型人間

kindle unlimtedで適当に本を漁っていると、とある本に「Why型思考」と「What型思考」について書いてあった。これらの言葉が一般的に使われているものなのかは知らないけれど、字面を見てなんとなく自分はWhat型思考の人間なのだろうなと思った。

What型思考とは極端に言うと物事を目に見える形のまま捉えることで、Why型思考とは物事をそのまま捉えるのではなくその裏側を考えることらしい。定義を踏まえたうえでやはり予想は当たっていた。自分は生粋のWhat型人間だ。

これまでの人生において何事にも理由や原因を求めず、それはそういうものなんだろうと自分に無理矢理言い聞かせてきた。本質には目もくれず、物事の表層的な部分だけをすくい取って吸収する。二十数年生きてきて、自分は空っぽだなと思う原因の一つはここにあると思う。

この間Xで、子どもがテレビで競馬の中継を見ながらバランスボールの上にしゃがみ込み、ジョッキーの真似をして縄跳びをムチのように馬に見立てたバランスボールに打ち付けている様子を撮ったポストがバズっていた。その子のジョッキーの真似があまりにもうますぎて面白かったのだが、このポストに対する引用コメントで「ジョッキーがムチを打てる規定回数まで(その子が)守っていてすごい」というものがあった。

そのコメントを見たときに、ただただすげえ~としか思わなかった。そのような規定回数があるのも初めて知ったし、たまたまだろうけどその規定回数もクリアしているなんて、なんと奇跡的な動画だろうと。ただひたすらに感嘆しほっこりしていたのだが、「規定回数を守っているのはテレビのジョッキーの真似をしているだけ」という別のコメントが目につき、目から鱗が落ちた。同時に事の真偽はともかくとして、そんなことにまで考えが及ばなかった自分に割とがっくりときた。

ちょっと考えればわかることだと、後になって思う。テレビに映っているジョッキーの真似をしてムチをふるっているのだとすれば動きも当然トレースしているはずで、そうであればその子が規定回数をクリアするのも当然のはずなのだ。

このコメントを見た瞬間、このポストに反応している全員がそんなことはわかってるうえで楽しんでいるのだという風に見えた。ただ純粋にムチの規定回数を守る子どもに興奮していたのは自分1人だけであるように思えた。いや実際本当にそうなのかもしれない。

何もかもを疑ってかかるのは良くないが、考えすぎないのはもっと良くない。自分の欠落した部分の多くは考えなさすぎることに起因している。子どもの流暢なジョッキーの真似とムチの規定回数を無理矢理短絡的に繋げてしまう。この2つの間に別の何かを程よく噛ませられるのがWhy型思考なのだろう。

ここまで凝り固まってしまった思考のクセを今更矯正できるのかわからないが、せめて矯正しようとしなければと思う。物事に対してできるだけ問いかけていきたい。少し前に流行った「なぁぜなぁぜ」というフレーズもバカにできない。