何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

人生は停滞している

停滞した日常、ひいては停滞した人生を打破するために何かを変えたくて、なんとなくこのブログを始めてから約2ヶ月が経った。

変わったこととして、以前よりも自分の輪郭が少しだけはっきりしてきた。このブログに加えてノートをつけたりもしていて、自分の考えていることを言語化する機会が多くなったからだ。ノートにはムカついたこととか、今日ふと考えたこととか、自分の陥りがちな思考とか、好きなものとか嫌いなものとか、そういうものについて雑多に書きなぐっている。

今まで自分の感情や行動に対して、その本質に目を向けてこなかった。なぜ自分はそう思ったのか、そういう行動に出てしまったのか、というようなこと。そういう疑問を自分に一切投げかけることなく、ただその感情や行動の表層部分だけを捉えて名前を付けていた。試験問題に出てくる語句を、ただ言葉としてのみ記憶するのと同じイメージ。答えや公式を丸暗記しているだけなので、それが何を意味するか、なぜそうなるのかを問われてもわからない。だから応用が利かない。思えば受験生のときからそういう勉強をしていたような気がする。

だからいざ自分というものに真剣に向き合ってみたとき、あまりの中身のなさに唖然としたけれど、それは中身がないのではなくて、中にあるものが一切言語化されておらず、なんら具体性を伴っていなかっただけのことだった(とはいえ人生経験の少なさから、人間の平均的な中身と比べるとスカスカであることは間違いないけれど、それはそれとして)。

そういうものを少しずつ言語化し、形作っていくような作業を今はしているんだと思う。そのうえで改めて自分の浅はかさに身もだえすることも多々あるけれど、数年前よりは自分のことをマシであると思えるようになっている、多分。

けど、それは数年かけてマシな人間になったということではなくて、元々見ようとしていなかったものに目を向け始めたことで、思ったよりもマシだった部分に気づけただけのことだ。今はただ現状の自分をせっせと具体化しているだけで、これからの人生の展望とか、どうなりたいかとか、つまり何がしたいのかとか、そういうビジョンのようなものは一切見えてこない。

多分具体化したものをかき集めてもう一度抽象化する必要があるのだろうが、それをしようとすると頭に靄がかかったような感じがして、詰んでしまう。詰んだらすぐ諦めるのは自分の悪いくせだ。『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』も序盤のマヤチノウの祠というステージで詰んでしまい、以来5ヶ月ほど触っていない。

とにかく、ここ2ヶ月で自分を徐々に具体化してはいっているものの、そこから先の作業は停滞している、ということが書きたかった。とりあえずブログでも始めてみれば何か光明が見えるだろうとか無責任で楽観的なことを考えていたが、そう甘くはなかったみたいだ。

とはいえ、ひとまずは死ぬほど飽き性な自分が2ヶ月もブログを続けられたこと(誰にも伝わらないだろうけど、これは本当にすごいことなんです)に乾杯したい気持ちがある。なので明日の自分に謝りつつ、カルビーの冬ポテトを開封する。ポテチを食いながらなにをしようかと思案する時間がこのうえなく好きだ。アニメもいいが、せっかくなので5ヶ月ぶりにマヤチノウの祠に挑むことにする。まずは停滞したティアキンを打破することが、停滞した人生を打破するきっかけになるかもしれない。ないか。