何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

忘年会に行った

8年ぶりぐらいに忘年会というものに参加した。懸念していたほど退屈ではなかったが、期待していたほど楽しくもなかった。

何ヵ月ぶりかにまともに酒を飲んだ。ロックというのがなんなのかも分からないぐらい酒のことを知らないので、名前の知らない酒を名前の知らない飲み方で、勧められるがままに。

酔ったな~という感覚を数年ぶりぐらいに味わった。そして今まで理解し得なかった、酔うのが好きだという人間のことを少しだけ理解できた気がした。頭がほわほわして上手く回らず、些細なことなんてどうでもよくなってくる。そこに確かに気持ち良さは存在する。

宇宙へ飛び立った人間が地球を見たときに小さな悩み事なんてどうでもよくなる、みたいな感覚ともしかしたら似ているのだろうかと思ったけれど、多分違うなと思い直した。酒はただ重要なものとそうでないものの境界線を一時的にぼやかせているだけ。宇宙飛行士は地球を、つまり世界を俯瞰で見ることによって、反対にその境界線がくっきりと見えてくるのだ、きっと。メタ思考とか言うやつ。その境界線が見えるからこそ、大事じゃないものを確信を持って切り捨てられる。宇宙に行ったこともなければ行く予定もないので想像に過ぎないけど。

お酒に酔っていてうまく判断ができていないとき、普段と比べて少しは積極的に話せていた自覚があり、職場の人たちとも少しは打ち解けられたような感覚があったけれど、それと同時に普段の自分はここまで喋らないだろうなということも常にはっきりと自覚をしていた。酒の席でのみ深まった関係は、おそらく次の出社の頃にはリセットされている。

自分は人とどう接しているときが楽しいのだろうかということをたまに考える。人間と接すること自体が嫌いだと言うわけではないことは、今までの経験上わかっている。

自分の言葉で人が笑ったとき。好きなものの話をしているとき。好きな人と話しているとき。うまくコミュニケーションがとれたとき。

独りよがりな人間なので、自分からいかに上手く会話のパスを出せたか、ということにしか価値を見出していないような気もする。パスが上手かったかどうかは相手のリアクションと自分の独断で評価されるので、会話中は相手の言葉を一切咀嚼することなく丸飲みし、次に自分がどう気の利いた発言をしようかということにしか注力していない。

元々人を自分の都合のいい解釈に当てはめたNPCのような存在として捉えてしまうきらいがある。もちろんそれぞれが全く違う人間で、それぞれに人生が、思考が、感情が、核があることはわかってはいるものの、それをいちいち想像することがあまりにも無謀で果てしないことのように思えて、つい諦めてしまう。宇宙飛行士にはなれなくても、もっと人と自分を俯瞰で見る努力が必要かもしれない。

書いていたらだんだんと酔いが醒めてきた。思考はクリアになってきたが、忘年会で何を喋っていたか、何を飲んでいたかはあまり覚えていない。きっと来年に持ち越す必要もない記憶だというだけのことなのだろう。