5月16日

わりとゴミのような休日だった。いやそうでもないか。カフェに行って20分ぐらい読書をした。月がきれいを4話まで見た。ここだけ切り取ればそれなりに充実した休日だ。今日がどんな日だったかというのは基本的に一部分を切り取って表現するしかない。今日起きてからやったこと、思ったことを一から十まで書き記すことができるなら話は別だが。カフェで読書したことだけを切り取ればそれなりな休日だし、ベッドで見たくもないYoutubeを見ていた部分だけを切り取ればゴミのような休日だ。他人だって同じなはずで、どれだけ充実した休日を過ごしていそうな人も、実はそれは一部分で、ゴミのような時間がほとんどを占めているかもしれない。ただ、いくらそれがすべてではないからと言って、他人の言葉をどうせ一部分だからと蔑ろにしていいわけではなくて、結局人は言葉でしか理解し合うことができないので、つまり一部分と一部分をぶつけ合うことでしかコミュニケーションを取れないので、自分の一部分こそが、他人からみた自分の全部ということになる。まあ人には想像力があるのでそれが全部とは思われないかもしれないが、他人の言葉の裏側を逐一想像するほど人は暇ではないだろう。なんにせよ自分のすべてを理解してもらうことはできないし、そもそも伝えることができない。俺の休日が充実していようがゴミのようであろうが、本当のところは人にはちゃんとは伝わらないし、そもそも人からしたらマジでどうでもいいことだ。