何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

一人コンプレックス

一人が好きだ。大体なにをするのにも一人が良い。ご飯を食べる、仕事をする、娯楽にふける、どこかへ行く、喋る(ニート時代に家に誰もいないタイミングを見計らって一人でツイキャスごっこと銘打って虚空に向かって話し続け、ボイスメモで録音していた)。

それでも一人が好きになり切れない。一人でいたいと思う瞬間と同じぐらい、一人でいるのが恥ずかしいと思う瞬間があるからだ。大抵は、一人でいるのがふさわしくないと思ってしまう場に対して。居酒屋、焼き肉屋、オシャレなピザ屋、ゴールデンタイムのカラオケ、休日昼の映画館、クリスマスのイルミネーション通り、初詣の屋台巡りなど。

これらはもちろん偏見中の偏見なので、こういう場所に一人で行くことはなんら恥ずかしいことではないだろうし、人から見たら何を気にしているんだと鼻で笑われることだろうと思う。自分が周りの目を過剰に気にしすぎて、一人であることに勝手にコンプレックスを抱いているだけなのも分かっている。でもいくら分かっていても、いざその場に立つとままならないことが世の中には(少なくとも自分の中には)多く存在する。気にするなとどれだけ言い聞かせても気にしてしまうし、小学生の頃から掲げ続けている「来年こそは快活な人間になる」という目標は、二十年程経った今でもまだ達成できていない。

それはさておき一人コンプレックスは厄介で、たとえば行きたい飲食店を見つけても、一人で行くのが恥ずかしくないかを真っ先に吟味してしまう(もしかしたら誘える友人的存在がいないことの方が問題かもしれない)。食べログで一人席があるかどうかを確認したり、一人で行ったと思われる口コミを探し出して安心したり。そこまでして店先へ辿り着いても、中の雰囲気に気圧されて結局断念してしまうこともよくある。そして、気づけばいつもと同じラーメン屋に吸い込まれている。

飲食店に限らず人生における多くの場面で、前と変わらない選択肢を取り続けることが多いなと思う。その結果同じような日常が繰り返し繰り返し続いていき、精神の停滞に至っている。それが多分今の状態。

一人が好きで周りを気にすることなく一人を謳歌している人や、だれかと一緒に過ごすことを満喫している人を見るたびに、自分はそのどちらにもなれないなと思ってしまう。一人が好きなのに一人でいたくないというどっちつかずな感情を、上手くバランスを取りながら生きていかなければいけない。それには一人になるための勇気が要るし、一人にならないための誰かが要る。

そもそも実家でご飯を作ってもらっている分際で一人を語ることすら烏滸がましいのかもしれない。今年は一人暮らしがしたい。