何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

澱んでいた

年末年始の休みにやりたいことをいくつかリストアップして意気込んでいたのに、休みに入ってからというもの1日の大半を布団で過ごし、ほぼすべての時間をYoutubeパワプロに費やす日々を送ってしまった。こんなはずじゃなかったという後悔と、もう少しで仕事が始まってしまうことへの恐怖とで精神が埋め尽くされ、澱んでいた。

3日ぶりぐらいに外へ出た。近所へ買い物に行くだけ。普段は自転車で移動しているが、どんよりと濁ったメンタルを少しでも晴らすためにぶらぶら歩いて向かうことにした。

普段から自転車で何度も通り抜けてきた道も、ゆっくり歩きながら通ると違った印象を受ける。進みが遅い分、自分が小さくなったか、あるいは世界が大きくなったような感覚になる。普段なら目も向けないような看板、電飾、自動販売機などに目がいく。いつもは早々と通り過ぎる世界を、ゆっくりと捉え直す時間のようにも思えた。スプラトゥーンで、雑に塗られた自陣を塗り直しているときのような感覚(スプラトゥーンを実際やったことはないが)。新しいものに触れて自分の世界を拡張していくのも大事だけど、こういう時間も必要なのかなと思った。

薬局、100均、古本屋などを回る。薬局ではボディクリームやらスキンケア商品を適当に、100均ではそれらを置いておくケースを買う。今年は肌を労わっていきたいという意志。古本屋ではエッセイを2冊買った。買っただけで満足してしまい一切読んでいない本が多分15冊ぐらいはあるので、これらを読むのがいつになるかはわからないが。

5日間程ニュースをほとんど見ていなかった。なんとなく世間から取り残されている気持ちになって焦る。ニュースは興味があるから見ているのではなく、社会人として見ておかなければならないんだろうなという義務感だけで見ている。なので見るぞという意気込みがなければ見ることができないし、見たところで文字を流し見しているだけなので明日には忘れていることがほとんど。

そんな状態でも地震のニュースは目についたし、自分の住んでいる地域も少し揺れた。自分はおそらく薄情な人間なので、自分の人生に直接結びついている人たち以外のことを、心の底から案ずることができない。だけど想像することはできる。今被害に遭っている人のこと、その状況。あるいは、自分や家族や友人、ネットで普段よく見ている人、その他自分に関係のある人がその状況に置かれたら自分はどう思うか、どう行動するか、ということ。それを想像し考えていくことが、自分が嘘偽りなくできることの第一歩目かなと思う。