何も続かない日記

何かを続けるために書いています。

楽しみ依存症

楽しみに依存して毎日を生きている。

楽しみとは例えば好きなアニメだったり、推しのVtuberの配信だったり、応援しているプロゲーマーの試合だったりする。しかしそれらは単なる一つ一つの点でしかなく、楽しみと楽しみの間には必ず空白が生まれる。楽しみにしていたアニメを見終わったとき、推しの配信が終わったとき、応援しているプロゲーマーが予期せぬ敗退を喫したとき。楽しみにしていたことが終わり、その空白にさしかかると心が空っぽになり絶望感が襲ってくる。それらの内容が期待外れだったことで気持ちが下がることもあるけれど(もちろん逆もある)、それ以上に、楽しみにしていたことが終わってしまったという事実が耐えがたいほどの喪失感を生む。

楽しみに依存しすぎているのだ。単なるご褒美とか、これのおかげで頑張れる程度のものではなく、楽しみが生きる目的そのものになってしまっている。その楽しみに辿り着きさえすれば、あとは死んだって良いぐらいの気持ちで生きてしまう。でも実際には死ねるはずもなく、楽しみという心の拠り所を失ったまま変わらず人生が続いていくという現実にたまらなく絶望する。

その絶望や空虚さから逃れるため、必死で次の楽しみを探す。宿主を失った寄生虫のように、次の依存先を見つけるのだ。そうやって楽しみを食いつなぎながら毎日をどうにか生きている。というよりも、楽しみに生かされている。楽しみ以外のことは全てどうだっていいとさえ思う。だから今この瞬間を生きているという感覚に乏しいのだろうし、今この瞬間がすべてつまらなく思えてしまう。大体のことが他人事に思える。

マイナスなことばかり書いてしまったような気がする。吐き出したら少し頭が整理できたけれど、だからと言って楽しみ依存症が改善されるわけでもない。もう既に次の楽しみを探し始めている。早く依存先を見つけないと明日の仕事を乗り切れそうにない。